Our Name. – ハバタクグループ起業のきっかけ(3)

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いよいよ起業に向けて経営合宿を決行することになった丑田・長井・小原(チームUNO)の3人。行きの車のなかで社名を決めなければならないことに。果たしてどうなる??

  • なんでIBMを辞めたのかについては第1話
  • 起業チーム発足の経緯は第2話

 

長井の腹案

合宿当日(2010年8月28日)。模造紙やらマジックペンやらを満載した車で私たちは出発しました。目指すは草津温泉です。到着までの3時間で、まず社名を決めなければ…!

番屋会談のときから変わらないスタイルで、車内の窓ガラスにペタペタとポストイットを貼りまくりながらのブレストが始まりました。

ところで、私にはとっておきの腹案がありました。当時若手のコンサルとして自己研鑽に励んでいた(つもりの)私は、クリエイティブな発想力を鍛えるためにネーミングに凝っていたのです。そのときのバイブルは、docomoauなどの命名で著名な横井惠子さんの『ネーミング発想法』でした。

そんな私の最強の腹案。それは…

トリニーク(TRINIK Ink.)

でした。

込めたかった意味としては「取りに行く」、つまり興味のあることにどんどん首を突っ込んで行動するような主体性を育てたい、というのが主なポイントでした。また一見奇妙に横文字化しているのは、当時教育事例として注目していた北欧の言葉の響きを取り入れたかったから、という理由です。

起業後に訪れたデンマークの小学校の風景。この話はまた別の記事で。

あまりここまでのストーリーに登場していませんが、世界の教育事例を調べるうちに強烈にインスピレーションを受けたのが炭谷俊樹さんの著作『第3の教育』でした。炭谷さんがマッキンゼーのお仕事でご家族とともにデンマークに住まれた際、お子さんが受けた当地の全人教育と探究教育に感銘を受け、帰国後には自分で子どものためにデンマークスタイルのフリースクールをつくるに至った…というストーリーは鳥肌ものでした。もちろん、そこで紹介されているデンマークの教育についても、いまだ日本の教育がなし得ていない様々な示唆が満載でした。その後炭谷さんに何度かお会いさせていただいたり、六甲山での研修に参加させていただいたりと、いまでも師のひとりとしてお付き合いさせていただいています。

というわけで車中のブレストのなかで私は自信満々に「トリニーク」案を披露したのですが、候補を整理する段階で

「なんかそれ、鶏肉みたい」

という一言によってあっさり片付けられてしまいました。うん、たしかに鶏肉みたいな響きですね。認めざるをえない。撃沈。

かといって他にあまり有望な候補も残らず、ブレストは後半戦に突入したのでした。

どなたかトリニーク案を社名で使いたい方、お譲りしますのでご連絡ください。

先輩起業家に学べ

そうこうしている間に車は草津温泉に近づいてきました。残り時間がなくなってきて焦る面々。ここでいったん「他のベンチャーでいいなと思う社名ってどんなやつ?」という情報共有に切り替えました。

筆頭で上がってきたのが同じ教育ベンチャーの先輩であるリバネスでした。Leave a Nest(巣立っていけ)という英語のメッセージを持ちながら、名称としては4文字で短く呼びやすい。こういうのがクールだよね、という話になりブレストが再開。

リバネス社。丸社長をはじめとして理系軍団が縦横無尽に活躍する素敵な会社です。

「ハバタク」が生まれる5分前

リバネススタイルを参考にしつつ、“Have a ◯◯”で「ハバ◯◯」みたいにできるのではないか、という話題になり、ここに突破口を見出したい3人は頭をフル回転させて必死に単語を当てはめ始めました。

ここで出てきたのが“Have a To-Be”で「ハバトビ」というアイデアでした。To-Beはコンサルタントがよく使う言葉で「あるべき姿」とか「理想」くらいの意味です。「理想を持とう!」というメッセージが込められるので一同はひとしきり盛り上がりました。が、「でも、幅跳びって…」という一言で消沈。たしかに躍動的なニュアンスはありますが、幅跳び自体に思い入れがとくになかった我々は「惜しいが、違う」と判断せざるを得ませんでした。

幻の「ハバトビ」案。我々が陸上部出身だったらハマったかもしれません。

そして「ハバタク」誕生

“Have a ◯◯”の路線でさらにブレストを続ける3人。そしてついに「”Takt”(タクト)はどう?」という一言が飛び出します。

“Have a Takt”で「人生の指揮棒を持とう」という意味を持ち、カタカナでの「ハバタク」は「世界に羽ばたく人を応援する」という意味を持つというダブルミーニングのネーミングがついに完成したのです。私がクラシック音楽好きだったため、タクト=指揮棒というメタファーも相性が良く、しかも盛り込みたい自分たちの理念がキレイに名前のなかに納められている。どう考えてもこれ以上の名前はない!というレベルの「決まった感」とともに、全員一致で社名決定となりました。

社名のもつ力

以前の記事にも書きましたが、社名や商品名は魂を込めて検討する価値のあるものだと思います。このあと「ハバタク」の社名はコクヨファーニチャーさんの賞を受賞したり、たくさん人に「面白い社名だね!」と言っていただけるようになりました。そうした対外的なメリットもありますが、それより何より、事業がうまくいかないときや辛いときに「ハバタク」の社名に立ち戻ることで初心に還ることができたという実感があります。たかが名前、されど名前。この名前のパワーに背中を押されて、3人の起業への勢いはいっそう増していくのでした。

 

さて、社名の次は事業計画。ここで我々は手痛い失敗をするのですが、それが判明するのはだいぶ先のことなのでした。

続きます!

  • なんでIBMを辞めたのかについては第1話
  • 起業チーム発足の経緯は第2話

子育てがオトナの成長のための絶好の機会だという話

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私には2人の娘がいます(今日時点で6歳と2歳)。妻もフルタイムで働いていますので私も保育園の送りから寝かしつけまでの子育てタスクをそれなりにこなします。「起業もして子育てもしてるの!?大変〜!」(眉毛はハの字)というコメントもちょいちょい頂きますが、正直なところ、子育てと並行したほうがトータルで人生のプラスになっていると感じています。

清里で撮った長女との写真。気づいたらもう4年前。

人生のプラス」というのは、単純に子育てという行為が楽しいという話だけではありません。教育に携わっている者の視点からしても 「子育てはオトナ自身の成長のためのチャンスでもあるんだ」と本気で思っているのです。今回は、あえて社会のためでも子どものためでもなく「自分自身の成長のために子育てがどう活きるのか」という視点に振り切って書いてみようと思います。

※以下に書いたことは「子育てでないと経験できないこと」ではありません。あくまで私の視点から、子育てという(決して楽しいだけでは済まされない)経験を、こう考えたら自分の成長に繋げられると思ったよ、というスタンスで書いたものです。ご了承ください!

オトナが成長するポイントは主に3つあると思います。

 

予測不能な事態への対応力を鍛えられる

子どもが泣いたり怒ったりあるいは駄々をこねたりといった場面では、たいていの場合理由がはっきりしません。そしてそれは日に150回くらい起こります。親である以上、我々はなんとかしなければなりません。この「猶予なし理由不明の絶対的優先順位No.1対応事項を、(少なくとも表面上は)冷静に対処する」というミッションは、NASAの有名な採用試験もかくやと思わせる難易度ではないでしょうか。

考えてみれば21世紀のビジネス環境変化はどんどんスピードアップしており、数年先さえ予測不能と言い切る研究者もいるほどです。これからもどんな青天の霹靂が起こるか分かりません。そんな状況への対応力を鍛えるのに、実は子育ては絶好の機会なのです。日々襲いくる子育てミッションをこなすうち、オトナの予測不能対応力は格段に上がっていくはずです。

※このプレッシャーと責務の板挟みによって育児ノイローゼなどの問題が起きてしまうこともあり、それ自体はもちろん解決すべき社会問題だと思っています。

 

タイムマネジメント力が鍛えられる

食事、お風呂、寝かしつけ。保育園や幼稚園に預けるなら送り迎えなど。子どもがいなければかなりフレキシブルに時間を使えるところが、子どもがいるだけで仕事を強制終了しなくてはいけないタイミングが格段に増えます。洗濯などの分かりやすい家事も増えますし、子どもの爪切り連絡帳の記入、「保育園に預けるオムツに油性ペンで子どもの名前を書く」みたいな名前を付けにくい”家事”まで、そのバリエーションは半端なく多いのです。

私も独身時代には「よーし、今日は吉野家でさくっと夕飯食べて、家で仕事を片付けてしまおう」みたいな日がよくあった気がしますが、いまやそんなことはできません。妻が残業をする日であれば、18時半には娘たちを迎えにいき、そこから21時半くらいまではノンストップで食事→入浴→寝かしつけのコンボです。その後皿洗いなどが必要な場合も。こうなってくると、使える時間が1日のなかで本当に限られてきて、そのなかでいろいろな仕事を進めていかなければなりません。ちなみに何らかの作業を強制中断している場合はその精神的ダメージもじわじわきます

「こういうときだけ写真を撮ってあざとい」と大好評(!?)のお掃除風景。

しかし、この習慣が身につくと「本当に自分がやるべき仕事は何か」「どの仕事をどのくらいの時間で終わらせるべきなのか」といった時間のやりくりの感覚が鋭くなり、結果的に仕事の効率を上げることができていると感じます。巷では長時間労働の見直しが叫ばれていますが、基本的には大賛成です。自分が出すべき価値とその効率に対してオトナはもっとシビアになれるし、なったほうが結果的に幸せに働けると思います。

 

地域社会への接点を獲得する

子どもの幸せを願わない親はいない、といいますが、子どもの幸せは(特に年齢の小さいあいだは)地域社会と切っても切れない関係にあります。市区町村や出産予定の病院が開催してくれるパパママ教室に行ったときの妙に居心地の落ち着かない感じ。あれは、「寝に帰るだけ」だった自分の街が、突然「子どもの安全と成長を預ける文字通りの”ホームタウン”」になった瞬間の戸惑いなのだと思います。

私自身の地域活動としては、朝日新聞にも掲載された次世代学童保育・塾の「ネクスファ」さんにてレゴの先生をやらせていただいています。

その感覚に慣れてくると、次にやってくるのは「うちの子を頼むよ、ちゃんと税金払ってるんだからさ!」という、自治体への期待感です。けっしてモンスターペアレンツ的な話ではなく、子どもと税金を通して(場合によってはお祭りへの参加とか地域清掃とかもあると思いますが)未来の地域社会のあり方について視線が鋭くなってくるわけです。

これは持論ですが、日本人の政治的無関心の理由は「顔の見えない1億2千万人という超巨大コミュニティを想像できないから」だと思います。私が以前デンマークやオランダを訪れたときに印象に残ったのは、どんな人でも自分の政治的スタンスと意見を語れる風景でした。これは、参政権を自らで勝ち取ったという歴史的背景もあるのでしょうが、人口サイズが小さいという側面も無視できないと考えています。政治の話を「自分にすぐ影響してくる身近な話」として捉えることが、オトナの目を未来と政治に向かわせる第一歩なのではないでしょうか。その意味で、子育てをきっかけに地域社会への接点を得ることはとても重要だと思うのです。

 

子どもに育てられている

いかがでしたでしょうか。あくまで実感ベースで書いたものなので「それはお前が未熟なだけだ」というご指摘もあろうかと思いますが、少なくとも私は日々こんな成長実感をもって子育てをしています。その意味ではまさしく「子どもが私を育ててくれている」と思っていますし、この恩返しとして自分の娘たちにはいろいろな世界を見せてあげたいなと願っています。すでに国内の企画には長女を連れ出したりしていますが、いずれは海外研修にも(お手伝いの役割をちゃんと果たせるようになったら)巻き込んでいきたいと、チャンスを虎視眈々と狙っています。こういったフレキシビリティは、ベンチャー企業をやっている役得かもしれませんね。

子どもを生み育てるのは大変な生活の変化をもたらしますし、女性にとってはまさに人生の一大事かと思います。でもその先にはより一層楽しく、自分も成長できる機会があるよ、というお話でした。それではまた次回!

今回は触れませんでしたが、子どもはオトナのフィジカルな成長も手伝ってくれるのです。写真は以前私がトライした「子ども乗せ腕立て伏せ」です。いまでは子どもの体重が圧倒的に増えてしまって、私の筋力では持ち上がりませんが…

はじめてのプレミアムフライデー – タクトピアの素敵な週末

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中高生の前で講演をすると、意外と「週末は何をやっているんですか?」という質問を多くもらいます。ベンチャー企業の経営者は土日もなく働いている、というイメージがあるのかもしれません。

私自身は自他共に認める親バカですし、できれば平日ですら家族といたいと思っているほうですが、仕事のスケジュールによってはいろいろな活動が入ることもあります。ちょうどいい機会なので、この間の週末の話を簡単にまとめてみたいと思います。

 

金曜日:初!プレミアムフライデーの過ごし方

はたして普及するの、どうなの?と話題のプレミアムフライデー。タクトピアも先月まで特に気にしていなかったのですが、「せっかくだからプレミアムフライデーに乗っかって楽しい企画をやろう!」ということになり、以前よりリクエストの多かった

  • ナレッジシェア(広げる
  • メンバー同士の理解の深掘り(深める
  • モチベーション向上(高める

の三拍子を実現する日となりました。

プレミアムフライデー企画に突入する前の打ち合わせ(15時時点)も畳の上でこんな感じ。

記念すべき第1回は「読書会」。タクトピアのバックオフィスを一手に仕切る聖子さんは豊富な読書会ファシリテーション歴をもっており、2つのパターンの読書会を体験させてもらいました。

印象深かったのは「短いテキストをその場で読んで感想をシェアする方式」。今回は、村上春樹の短いストーリーを読んで、感想を交換していきました。仕事上のやりとりと違って、自分の考えや経験を自由に吐露していく時間は、いわば脳内のリラクゼーション!また、新しくメンバーの価値観や感受性に気づけたりして、嬉しい発見もありました。ちなみに偶然ですが、この日は村上春樹の最新作騎士団長殺しの発刊日でもありましたね。

Skypeで他拠点とも接続して読書会。普段から慣れているのでSkype越しでもワイワイ。

その後は日本橋エリアに繰り出してディナーパーティ。前から気になっていた焼肉屋さんに繰り出し、舌鼓を打ちました(ホントに美味しい!)。嶋津幸樹のELT Teacher Awardのお祝いがまだできていなかったので、サプライズでお花をプレゼント。4月から入社予定の新メンバーや冬キャンプを手伝ってくれたインターンの学生さんも集まって、賑やかな会になりました。

プレミアムフライデーはこれからも月末金曜にやってくるということなので、これからもタクトピアの良きペースメーカーとして活用していこうと思います!

 

土曜日:タクトピアのNHKデビュー!

なんと土曜日には、共同創業者で北米統括の白川寧々がNHK(Eテレ)のテレビシンポジウムに出演させていただき、その放映がありました。

収録時の様子。「現代の魔法使い」こと落合陽一さんも登壇されました。

日本の教育界を代表するような先生方と肩を並べての出演ということで個人的にドキドキしていましたが、彼女はそのキャラクターをいかんなく発揮していました。

リアルタイムでインターネット上ではいろいろな感想が飛び交っていましたが、予定調和ありきのシンポジウムにならないようなストレートな議論をし、物議を醸すことがタクトピアの仕事だと自認していたので、彼女の役割はバッチリ果たされたと思います。実際、会場からの質問も彼女を名指しした質問が多く、放映後にはタクトピアのお問い合わせフォームからもメッセージをいただくなど反響の大きさを実感しました。この機会を与えていただいたNHKさんには感謝しかありません。

テレビでの登場時。右側の写真は立命館宇治高校でのアントレプレナーシップ講義の際の様子です。

ただ、この番組でタクトピアが言おうとしたことについてはまだまだ言葉を尽くせていない(あるいは日本の教育界向けに翻訳しきれていない)と思うので、別の記事で書いていこうと思います。

 

日曜日:歴代最大規模のTAKTOPIA HUB開催!

教育に関心をもつ多様な方々のコミュニティ形成を目的として、タクトピアでは月イチの交流会を開催しています。それがTAKTOPIA HUBです。

現職の先生が書いてくださった素晴らしいホワイトボード!ありがとうございます!

もともとはオフィスで10名規模で開催していたのですが、今回「英語教育」をテーマにした告知をした瞬間に参加希望者が殺到し、急遽外部の会場をお借りして開催することになりました。

ちょうど嶋津がELT Teacher Awardを受賞したタイミングとも重なり、英語教育に関心のある方々(中学生から50代の方まで!)と一緒に対話ができた時間はとても貴重なものとなりました。日曜日の夜開催ということもあり20時には終了したのですが、結局21時くらいまでは参加者の皆さんの熱のこもった交流が続きました。

なんとヒッチハイクで来てくれた学生さんも!

教育改革は学校(先生)や文科省だけが取り組めばよいのではなく、老若男女だれもが関われる(関わっていくべき)ものだと私は考えています。多様なプレイヤーからなる生態系をつくること自体が教育を変えることに繋がるとも思います。もちろん、その仲間のなかにタクトピアも入れていただけるよう精進しなくてはいけないですが…そんなことを改めて気づかせてもらえた日曜日でした。

ちなみに次回のTAKTOPIA HUBは3月24日に開催!世界的に評価を受けている教育ドキュメンタリー映画の上映とディスカッションをおこないます。詳細はこちらからどうぞ! 

タクトピアの週末、いかがでしたでしょうか。私としては、ワクワク度の高いものがたくさんあって自分自身も楽しませてもらったなという感想です。皆さんも参加したいものがあったらぜひ教えてください!

At World’s Bend– ハバタクグループ起業のきっかけ(2)

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今回はタクトピアを含むハバタクグループの立ち上げストーリー第二弾をお送りします!第一弾はこちらからどうぞ。

チームUNO発足

リーマン・ショックをきっかけに巨大なモヤモヤを抱えた丑田・小原・長井の3人は、2009年の後半からIBMの会議室に夜な夜な集まり、「自分たちにできることを考えよう」と闇会をおこなうようになりました。

このときは「ハバタク」の名前もまだ誕生しておらず、仮のチーム名として”UNO”と名乗っていました。UNOとはイタリア語で”1”の意味です。「目指すならオンリーワンだぜ!」みたいな、SMAPの歌が流れてきそうな軽いノリで決めた名前ですが、よくよく見てみると偶然にもUshida, Nagai, Oharaの頭文字になっていると分かり、狂喜乱舞した記憶があります。思えば昔から妙にネーミング運の強いチームでした。

チームUNOのタイトルスライド。顔のマークは小原作。

さてチームUNOとして闇活動を始めた三人ですが、しばらくは「自分たちでもできそうなビジネスアイデアをどんどん出していこう」という方針で週1ミーティングを重ねていました。曜日ごとに担当を決めて、スライド1枚でビジネスアイデアを書いて共有しては意見をぶつけ合う日々。コンサルという仕事柄こういうこと(実行ではなく紙の上でアイデアをこねくり回すこと)は得意で、何十とアイデアが溜まりました。この中には今でいうランサーズのようなアイデアもありました。一言で言うならば、デザイン領域で実績を積んでいきたい若手のデザイナーと、ロゴやパンフレットの装丁などにデザインの力を借りたい中小企業を結びつけるプラットフォームビジネスです。私たちはこれをDesign Tankというコードネームで呼んでおり、半ば本気でこのアイデアでの起業を考えていた時期もありました。

「これって”教育”っていうんじゃない?」

しかし、アイデアを出せば出すほどモヤモヤは溜まるばかりでした。山ほど出したアイデアたちはぱっと見よさげでしたが、結局「なんのためにやるの?」「自分たちは何を変えたいの?」というパッションが込められていないからです。自分たちがそれなりの労力をかけて取り組むからには「これだ!」という旗印を立てたい。そこで今までのアイデアや集めた情報を全部持ち寄り、八重洲の番屋という居酒屋にこもって会議をおこなうことになりました。

のちに言う「番屋会談」(2010年4月16日)がおこなわれた番屋の八重洲本店。お店はいまも健在です。

たまたま個室に通されたのをいいことに壁にポストイットを貼りまくり、問題意識の深掘りをしていきました。私たちの問題意識のスタートはリーマン・ショックで揺れに揺れたIBMの社内の風景でしたが、それをきっかけに自分たちのアンテナに引っかかるデータや話題を芋づる式に集めていたのです。たとえばこんなものです。

  • 新興国が急成長するなか、存在意義を問われる日本(と日本企業)
  • グローバルで活躍できる人材を求める経営陣とグローバルに出たくないワーカーのギャップ
  • 幸福度ランキング、労働時間あたりGDPで下位にあり続ける日本
  • 将来の夢を持てない、自分に自信がない、と答える割合の多い日本の子どもたち

などなど。

もともとがコンサル視点のため、最初の着目点はどちらかというと産業界でした。外的環境の変化が速まっていくなかで、「仕事」に求められる質も変わってきているのは肌で感じていたため、もっと企業の枠にとらわれない軽やかな働き方を支援したい…といったパッションが共有されていたと記憶しています。だからこそ、フリーランス的な働き方を推し進めるDesign Tankのようなアイデアが自分たちの心を捉えていたのだと思います。

ただ、そこが本質的な問題の根っこなのか?というモヤモヤも残っていました。オトナの働き方が変わるのも当然大事だけど、そもそもから言えばオトナになる前に新しい時代に対応したスキルとか考え方を身に付けておくべきなんじゃないか?と。折しも丑田と私には娘が誕生することが判明したこともあり、私たちの視点はどんどん若い世代へと遡っていきました。そしてついに「これって…”教育を変える”ってことなんじゃない?」という結論へ達したのです。

そして初の経営合宿へ

その後にまとめたチームUNOとしてのビジョンシートには

生まれた場所や環境に関わらず、全ての人間が、夢・志を持ち、これを実現するための力をつけ、実現に向けて走ることができる社会

という言葉が見えます。細かい文言は違えど、ハバタクグループがいまも大事にしている世界観がいよいよ定まってきました。

当時のビジョンシート。ビジョン・ミッションのほか、いまは「グローカルリーダーシップ」「多様性 x 創造性 = 共創的な学び」と整理されている私たちのゴール設定の原型が、スライド下半分に書かれています。

新しい事業の旗揚げに向けて一気に盛り上がりを見せるチームUNO。こんな↓メールのやりとりの末に「ここらで一発、経営合宿をやろう」ということになりました。よく考えれば社名もなければ事業計画もない。自分たちが具体的に走り出すための準備を整えていく段階に入りました。

ハバタクグループの合宿好きはこのあたりからすでに始まっています。

ただ、問題が一つ。合宿で検討すべきアジェンダがありすぎて、行き帰りの車の中まで打ち合わせに使わなければならず、社名は行きの車の中で決めなければならないことになりました。大事な社名をそんな超スピードで決められるのか!?と初っ端から不安がよぎる面々。この顛末は次回に語りたいと思います。

※まだ第一弾を読んでないよ!という方はこちらからどうぞ。

トーキョーローカル – オフィス周辺ブラ散歩

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この間はオフィスについて書いたので、今回はオフィスのある日本橋エリアについて書いてみようと思います。ちょっとマニアックですが味わい深いこの土地にぜひ興味をもって、遊びにきてください!

 

日本橋は意外に広い

「日本橋」と聞くと皆さんはどんな風景を思い浮かべるでしょうか。おそらくこんな感じですよね。

日本橋そのもの。

三越本店。

コレド室町。

正解です。正解なんですが、日本橋はそこだけじゃないのです。地図を見てください。

↑このあたりがいま写真で見た日本橋ですが

↑実は日本橋○○町という地名は隅田川に向かって東に広がっているのです。人形町、馬喰町、浜町、小伝馬町、そして我らがオフィスのある大伝馬町…ぜんぶ日本橋です。こうやって考えると一気に歴史の一員になった気がしてくるから不思議です(すみません、私は単純な人間です)。

私の古巣のIBMが本拠を構える箱崎町も日本橋。ちなみに日本橋の北は神田、隅田川を超えて東は国技館のある両国。西に東京駅があります。

 

江戸最古の町、大伝馬町

さて、オフィスのある大伝馬町の歴史をちょっとだけ紐解いてみましょう。幕府要人の旅や物資などの運送を取り仕切る“伝馬役”の住居があったことが町名の由来と言われています。隅田川も近く江戸城郭の辺縁に位置したため運輸の要所となり商業が勃興したそうで、最古の町の一つと言われています。江戸最大の繊維問屋街として栄え、第二次世界大戦の東京大空襲で町並みは一度焼失したものの、その歴史は現代にも続いています。

大伝馬町の呉服屋さんを描いた絵

その他の話題でいうと、吉田松陰の終焉の地である伝馬町牢屋敷がかつて存在したり、べったら漬けの語源になった「べったら市」が毎年開催されていたりする土地です。

 

現代風に楽しむ大伝馬町(とその周辺)

歴史的な香りをちょっと嗜んだところで、ふだんのオフィス生活に絡めて素敵なスポットを紹介したいと思います。渋谷や丸の内などのキラキラ立地とは違ってリノベーションの楽しさや店舗づくりのこだわりが見える感じが個人的には大好きです。

※お店の写真は公式WEBのものを使わせていただいている場合があります。また写真をクリックすると公式WEBへジャンプします

バクロコモン

お隣の馬喰横山にある創作イタリアンのお店。ランチもディナーも良いですが、とくにディナーはワインのお勧めが巧すぎてつい飲みすぎます。店舗が何かの工場跡らしく、高い天井を利用した空間づくりがとてもオシャレ。トイレの入り口は教えてもらわないと発見できない仕様。

三兄弟

オフィスを出て斜め向かいにある串揚げ屋さん。私は無類の串揚げ好きですが、こちらの串揚げはめっちゃ美味いです。古い建物と雰囲気がマッチしていて素敵。オフィスでイベントをするときには近所のよしみでテイクアウトさせていただいたりと、とてもお世話になっています。

フクモリ(馬喰町店)

このエリアを代表するお店。山形の食材をフィーチャーしたメニューはおしゃれでカフェとしても食堂としても使えます。よくいろいろなクリエーターさんが打ち合わせに来ています。

ときにはプリンを頬張りながら打ち合わせ

魚釜

名前のとおり海鮮系のお店。海外からゲストが来るとだいたいこのお店にお連れしますが、とても気に入ってもらえます。内装がザ・江戸な感じで粋。メニューはどれも美味しいです。顔見知りになると店員のお兄さんが必ず一番高いメニューを勧めてくるという小芝居が発生します。

ここまで書いてみたら、全部飲食店でした…(汗)なので飲食以外もご紹介します。

圧倒的な繊維問屋街

街中が問屋さんだらけです。呉服、ドレス、下着、帽子…布モノならなんでも揃います。見て歩くだけでも楽しいです。

とにかく帽子なお店

圧倒的な存在感のタオル問屋さん

ただし個人には売ってくれないお店も多い

そんななかでも私の好きなお店がオフィスのそばに2つあります。

UNIZON DEPT.

革小物・カバン等の製造販売をしている会社さん。日本全国に卸していらっしゃいますが、なんとオフィス周辺に直営店が2つあります。男性モノを多く扱っているのは2号店で、ふらっと行って店長さんと話してみたらその方が製品のデザイナーさんだったりして、トートバッグに惚れ込んで買ってしまいました。こういう距離の近さが最高です。

絆傘処

オフィスのすぐとなりにある手作り洋傘のお店。傘をもつと3分でなくしてしまう私には恐れ多くて買えないのですが、厳選された素材の惚れ惚れするような傘を店内で作っていらっしゃいます。いつか落ち着きのある男になった暁にはこちらの傘を持ちたい…と願うばかりです。ちなみにマフラーならなくさないだろうということで、昨年の冬に買わせていただいて愛用しています。

その他にも

リノベーションできる建物が多かったり、少し地代が安かったりするおかげでクリエーターさんやベンチャー企業が徐々に増えているエリアでもあります。

写真を中心としたアート家集団「ゆかい」さん。タクトピアオフィスのビルの1階と地下1階にいらっしゃいます。地下1階はスーパー面白空間!

雰囲気の良いゲストハウス”IRORI”。外国人旅行者の方々で賑わっています。1階食堂の奥にある江戸の古地図が圧巻。

クリエーターとベンチャー企業が入居するリノベーションビル”Creative Hub 131″。社員食堂という名前のソーシャルキッチンがあり、日々インスピレーションを刺激するイベントがおこなわれています。

ローカルとしてのトーキョー

いかがでしたでしょうか。東京というと世界的な知名度をもつ大都市でもありますが、もっとミクロに見ていくと土地ごとに歴史があり、いまも顔の見える関係性でなりたつコミュニティがあります。「ローカル」は地方にだけ存在するのではなく、都市圏にも当然存在しています。ただ、腰を据えないと見えないだけです。グローカルリーダーシップの育成を目指すタクトピアとしては、グローバルなつながりを強化するだけではなく、ここ日本橋のローカルなつながりにもっと触れ、貢献していきたいと願っています。

日本橋の伝統企業とベンチャー企業、そして日本橋ワーカーのための朝会「アサゲ・ニホンバシ」に登壇させていただいた際の集合写真。日本橋のご縁を大切に成長していきたいと思います。

社名の由来〜世界一の学びの生態系へ

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今日はタクトピアの社名の由来についてご紹介します。

社名って重要?

皆さんは世の中の企業の名前に興味があるでしょうか?どんな成り立ちなのかとか、調べてみると面白いものがありますよね。ひょっとすると人によっては「企業なんてお客がついてお金が稼げれば名前なんてどうでもいいんじゃないの?」と思うかもしれません。

私は個人的に、ビジネスを始めるときに社名は非常に重要なものだと思っています。文字通り魂が宿るものだと。社名に魂を込めないと、お客もつかないしお金も稼げないのです。同じことは会社の名前だけでなく商品の名前にも言えると思います。

ハバタクの場合

さて、タクトピアの社名について語るためには、先に親会社であるハバタクについても語っておいたほうが良いですね。「ハバタク」は2つの理念をかけ合わせたもので、「世界に羽ばたく」という日本語の意味と「have a Takt(人生の指揮を執れ)」という英語の意味が含まれています。これを思いついたとき、その場の全員が「それだ!」と叫んだくらいの傑作です。ですよね?(このあたりのエピソードはまた別の記事で書きますのでお楽しみに)

「ハバタク」は2013年にコクヨファニチャーさんから「社名の由来コンテスト」で賞をいただきました。

というわけでハバタクグループとしてはTakt(指揮棒)が重要なキーワードとなったのです。ちなみにロゴに登場するキャラクターも「タクトくん」と命名されました。

彼がタクトくん。毎年正月には干支コスプレしたり、パンフレット等ではいろいろなポーズを決めたりとよく活躍しています。

タクトピアに込めた決意

そして2015年の春。新子会社の立ち上げにあたってふたたび社名のブレスト大会が実施されました。サンフランシスコ・東京・ホーチミンシティと遥かに離れた3拠点をSkypeで結んでブレストを行いましたが難航し、貸し会議室の残り時間が5分となって冷や汗をかきまくり、最終的に全然候補に挙がっていなかった方向からドカンと発想がやってきて生まれたのが「タクトピア」という名前だったのです。このときも全員が「キター!」と叫ぶほどの決まった感がありました。

ロゴデザイン。社名が決まってからデザイナーさんに起こしてもらいましたが、これはこれで何度も議論が紛糾した末に出来上がった自信作です。

では、「タクトピア」に込めた理念とは何か。前半の「タクト」はハバタクから受け継いたキーワード”Takt”です。つまり、自分の人生について自分で指揮をとっていけるリーダーシップのある人を育てていこうという思い。そして後半の「トピア」は”utopia”、つまり理想郷を創るという思いが込められています。この2つを合わせて、タクトピアの提供する研修プログラムを通して世界に羽ばたこうとする人々とそれを支援する人々が学び合う有機的なつながり(=生態系)を生み出したい、というのがタクトピアの目指す最終的なゴールなのです。

生態系を創る楽しさを実感する機会が、ここ1年でぐっと増えてきました。たとえば高校時代にタクトピア(タイミング的にハバタクの場合もありますが)のプログラムを受けた学生さんが大学生となり、国内や国外のプログラムでメンターとして手伝ってくれるようになったり。国内スタディキャンプに参加してくれた海外大学生が、その後も参加者や大学生メンターと密に連絡を取り合って交流をしていたり。見学に来てくださった学校の先生方や民間企業の方が知り合って新しい企画を立ち上げたり。そうした人のつながりが新しい学びの機会を創出すると信じています。

大学生となった立命館宇治高校と新潟県立国際情報高校の卒業生たちがオフィスに遊びに来てくれたときの様子。それはもう賑やかでした。

これは持論ですが、教育の究極の形態は「良い学習プログラム」ではなく「良い生態系=人間関係」です。世界の多様性に触れ、自身の創造性を存分に発揮できる環境で成長することこそが、この世界を(身の回りのことからちょっとずつ)良くする21世紀型のリーダーの要件だと思うのです。タクトピアは世界で一番の学びの生態系づくりを目指して今後も進んでいきます。

 

今週のニュース – 嶋津幸樹が「世界一の英語教師」に選出

世界最大の教育企業「ピアソン」が主催する英語教師のアワードで、弊社の嶋津が選出されました!約1500名の応募者のなかから世界で5名、アジア・オセアニア地域の代表としての選出です。これからも嶋津が率いる英語プログラムおよび国内スタディツアーはどんどんパワーアップしていきますので、どうぞご期待ください!詳細は以下のページをどうぞ。

Meet an award winner: Koki Shimazu

The Working Dead – ハバタクグループ起業のきっかけ(1)

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最近よく「なんでIBMを辞めてわざわざ起業したんですか?」と聞かれるようになりました。今回はこれについて書いてみようと思います。少し長くなりそうなので数回に分けて大公開します!

私は2007年に東大の大学院からIBM(当時はIBCSという別会社でした)のコンサル職として入社し、3年半在籍してから起業となりました。正直私は腰が重いほうなので「まあマネージャー職も経験したりして10年間は会社にいるかなー」などと考えていたのですが、ある出来事をきっかけに急速に起業へと舵を切ることになります。

それがリーマン・ショックでした。

当時私はただのペーペーの新人であり、仕事として大変だったのはもっと年次の上の方々だろうと思います。ただ新人には新人なりのショッキングな思い出だったのです。

 

そのとき社内で何が起こったか

金融危機の波がアメリカから押し寄せ、あっという間に日本市場も影響を受けました。コンサルという仕事は特に影響を受けやすかったようで、たくさんのプロジェクト*が緊急停止となり、当時2,000人弱いたIBCSのコンサルタントたちのかなりの人数が仕事にあぶれるという異常事態になりました。

 

*コンサル業界においてはすべての仕事は「プロジェクト」という単位で行われます。大雑把にいえばプロジェクトが小さな会社みたいなものであり、プロジェクトマネージャーと呼ばれるポジションの人が小さな社長となって予算や人事について采配をふるいます。プロジェクトに所属していない期間のコンサルタントは”available”という状態となり、よく言えば休暇、悪く言えば社内失業という立場になります。

 

そんな事態のなか、私が何をしていたかというと…同期と飲み歩いていました。私自身は幸いにプロジェクトから外されることはありませんでしたが、一番極端だったときには全体の7-8割の同期がavailableとなり、みんなが不安がって情報交換を求めていました。お給料に響くというのもあったかもしれませんが、「自分はどこにも必要とされていないのではないか」という恐怖が蔓延していた気がします。

昼間からオフィスを出てハンバーガーとビールを喰らう会@本郷FireHouse。店外のベンチに座りながら同期といろいろな話をしました。

その不安なり恐怖なり怒りなりの矛先がどこに向いていたかというと、当然会社でした。でも、その会社のなかで私はいまでも忘れない光景を見てしまったのです。

 

静かな危機の風景

予備知識として先に言っておくと、コンサルティング会社のオフィスは固定席がないことが多いです。なぜならば平時であれば多くのコンサルタントはお客様先に出勤するからです。私の聞いたところでは、全社員の人数の20%ほどしか自社には席を用意しないとのことでした。

それが、このリーマン・ショックでどのように変化したか。前述のようにavailable状態が勃発したため大量の社員が丸ビルの自社オフィスに戻ってきてしまいました。しかし全社員分の席は当然ない。座りたくても座れない。かといってオフィスを離れたくもない(仕事が欲しい)。結果として、ややうつろな目で空席を求めるコンサルタントが永遠にさまよい続ける、ゾンビ映画のような風景が登場したのです。

私は The Walking Dead のファンです。特にゾンビ好きというわけではありませんが。

私がショックを受けたのは主に3点でした。

  • 誰もしゃべろうとしない。多くの人は同じ状況なのだから、不安をシェアしたり役立つ情報を交換したり、雰囲気を明るくしようとギャグをかましたり、なぜしないのだろうか。
  • みんな会社に期待するばかりで、自分でなんとかしようとはしていない。私が知る限り当時のIBCSの方々は超優秀であったにも関わらず、自分で状況を打破しようとしない。なぜなのか。
  • 一方で会社のほうの動き。IBMは世界最強クラスのガバナンスをもつ企業であり、人員整理のタイミングも超早かった。日本で人を減らす代わりに大量に登用していたのが中国とインドのメンバーだった。新興国のパワーが目に見えてやってきた。

もしこの状況がずっと続いたら、この人達はこのまま無表情のままずぶずぶと沈んでいくつもりなのだろうか…とやるせない感情が沸き起こったのを覚えています。

注:上記はあくまでも狭い私の視野で見えたモノと感じたコトであり、あくまで個人的な見解です。もちろん当時の会社内では状況を打破しようとたくさんの方が動かれていたと思います。この記事の目的は私がいかに若気の至りで起業のきっかけを掴んだかを書くため、ということでご了承ください。

そこから、ハバタクの創業メンバーである丑田俊輔と小原祥嵩との夜な夜なの会談が始まりました。といっても自分たちでも何を話せばいいのか分からず、ただやるせない感情を言葉にしてみたり、新しいビジネスのアイデアを何十と出してみたりしたものの、それが何に繋がるかは分からない。ハバタクの根幹のテーマである「教育」にたどり着くまではもう少し時間がかかりました。

 

(続きます!)

秘密基地な東京オフィスにいらっしゃい

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タクトピアを含むハバタクグループは国内外6拠点をもっていますが、一応東京オフィスが本店となっています。昔は神田にあるシェアオフィスを借りていましたが、一昨年の夏から自分たち専有の空間を借りるようになりました。

このオフィス、めっちゃいいんです。愛していると言っても過言ではない。

ハバタクグループ7期目スタートパーティの様子。オフィスが広くなったことで数十名規模のイベントも開催できるようになりました。

場所は日本橋。もう少し具体的には日本橋大伝馬町。日本橋のなかでも江戸時代から続く問屋さんが軒を連ねるエリアです。

世界中同じ流れだと思いますが、ベンチャー企業は家賃が安くて手頃な物件が空くエリアに移ってきます。東京においてはそれがイースト・トーキョーだということですね。大伝馬町や馬喰町エリアは元禄時代から織物系の問屋さんが多かったので、もと倉庫の古いビルが空いていたりするのです。

Fast Companyにも選出されたMIT発のテックベンチャー、NVBOTSのAJ会長も来社。背景には日本初上陸の当社の3Dプリンター。彼らも最初はガレージからスタートしたそうです。

内装はみんなで作る

実は昨年の秋に同じビル内で引っ越しをして、広さが倍になりました。そこで内装を考えるためのワークショップを経営合宿@秋田で開催することに。

その後、内装木質化を推進しているkiki inc.さんに秋田杉を使った家具を作っていただいたり

その上に畳を敷いて小上がりコーナーを作ってみたり

浅草ののれん屋さんにのれんを作っていただいたり

いろいろと工夫を凝らしております。建物自体が古い代わりに大家さんからは「好きに使っていいよ〜」と言っていただいているので、毎日ちょっとずつチューンナップしている感じです。

私の趣味も多分にありますが、オシャレなエリアに完成されたサービスオフィスを借りるより、歴史的なストーリーのある土地で自分たちでオフィスを創っていく体験のほうがベンチャー企業の体質とよくマッチしているのだと思います。

 

オフィスが会社の「顔」となる

ベンチャーにとって収益が安定するまでは固定費をなるべく減らしたいものですし、私も賃貸契約を結ぶときにはドキドキしたものです。でも、この秘密基地的なオフィスにお客様をお呼びすることでタクトピアやハバタクグループがどんな会社なのかを雄弁に表現できるようになり、より強い関係をつくれるようになったと感じています。

同じビルの仲間、SPICE FACTORYさんがギターのライブをしてくださったことも。畳が舞台に早変わり。

特に、オフィスを見渡していただいた瞬間にお客様がどんな顔をしているか、何と発言するかによって「あ、この方はタクトピアと気が合いそうだな」など、直感が働くようになりました。

家具やパーツがすべて動かせるので、たまに大胆にレイアウトを変更して鍋会なんかもできちゃいます。

唯一の課題…寒い

いいことずくめの東京オフィスですが、この冬はとにかく寒いです。ビルが古いので断熱効果も薄く、部屋が広くなったのに暖房を増やしていなかったのです。そこで年が明けてから一気に対策をしました。断熱シートにラグを敷いて床からの寒さを防ぎ、今日はついにダイソンのファンヒーターが届きました。これでぐっと快適なオフィスライフになるはず!

快適に楽しく過ごせてなんぼのオフィスなので、これからも終わりなき改善を続けていこうと思います。

お付き合いのある皆さま、チャンスがありましたらぜひ私たちの東京オフィスにお立ち寄りください。

こんな場面も。けっして私が嶋津をいじめているのではありません。マッサージを手伝っているのです。こんなときも畳は万能です!

国内でグローバルな非日常

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こんにちは!タクトピア代表の長井です。関東でも寒波がビュンビュンで凍えるような毎日ですが、皆さんのところはいかがでしょうか。

タクトピアでは2016年の年末から2017年の年始まで、山梨・大阪・京都の3会場でスタディキャンプを実施しました。今シーズンは私もすべてのキャンプにアテンドできたので、今日の記事ではその裏側を書いてみたいと思います。

大阪府立箕面高校での集合写真。図書館を21世紀型に改装したメディアスペースを会場に使わせていただき、大盛況に終わりました。

タクトピアのスタディキャンプとは

もともとタクトピアではグローカル研修として海外研修を先行して実施していたのですが、徐々に学校の先生方から「海外もいいけど、すべての生徒が行けるわけではない。金銭面で苦しかったり、勇気がいまいち出なかったり…逆に『世界を日本に持ってくる』みたいなこと、できないですかね?」と相談を受けるようになりました。

たしかに海外に飛んでいくというのはいろいろな意味でハードルが高いものです。お金があって度胸のあるヤツだけついてこい、という会社になってしまっては私たちのミッションも完遂できません。というわけでキャンプの企画が始まったのが3年前です。幸い弊社には海外大学の卒業生がたくさんいるので、「海外大学生を日本に呼んで、ふだんの学校の授業ではできない学びの環境をつくる」というコンセプトで企画を始めました。海外大学生に関しては、これまでにMIT(マサチューセッツ工科大学)、ハーバード大学、UCバークレー、UCL(ロンドン大学)、オックスフォード大学と英米の大学からの参加を受け入れてきました。

参加者と海外大学生のひとりArnaldo。言語学の専門なだけあって、英語で苦労する生徒さんに対するサポートも素晴らしかったです。

キャンプの内容はいくつかの種類があり、リベラルアーツを主体とするもの・課題解決型・英語学習に重きを置くものなど様々です。しかし一貫して大事にしているポイントがあります。

 

スタディキャンプのポリシー

1.創造的なインタラクション(相互作用)

海外大学生は先生役というよりはプロジェクトの仲間であり、なるべくフラットな関係を築いてもらうことを重視しています。もちろん必要に応じて彼らには専門性を活かしたレクチャーをしてもらったり、海外での大学生活について教えてもらったりという役割をお願いしますが、それらはあくまでゴールに至るまでの第一ステップです。

みんなが輪になってアイデア出し。ワクワクするゴールに向かって議論を進めるうちに内容にのめり込み、英語は手段となっていきます。

2.プロジェクト型学習

全日程を通してゴールを設定し、最終日にはプレゼンその他の形式で発表(アウトプット)をしてもらう設計です。この発表に向かうまでのプロセスをプロジェクトとして仕立てており、その場においては参加者の生徒さんも海外大学生も立場はフラットです。英語コミュニケーションにトライしながらも彼らは共通のゴールに向かって協働していきます。

京都キャンプは同志社中学校・青翔開智中学校と開催。学校をつくろうプロジェクトと題し、最終発表は学校の経営陣になりきって自分たちの理想の学校をプレゼンしました。

3.ハンズオン

とはいえ英語コミュニケーションには苦労するのが参加者の常です。ですが「英語ができなきゃ参加できないよ」というキャンプにはしたくないため、内容の多くをワークショップ形式にして生徒さんが言語以外のものによっても(つまり、手や身体を使いながら)コミュニケーションしやすい場所の使い方、道具立てを工夫しています。

いきなりジャグリングに挑戦。山梨キャンプではimaginEX社のRaiki Machidaさん(写真左)にも講師として参加いただきました。同じくメガネ黒髪なのでRaikiさんと私が似ているという噂がありますが、イケメンでいい声なのがRaikiさんです。お間違えなく。ちなみに山梨キャンプには探究英語クラスを共同開催しているa.schoolさんの生徒さんも参戦してくれました。

これらに気をつけながら学校さんの教育目的と照らし合わせながら設計・運営するのは並大抵の苦労ではないですが、タクトピアでは嶋津幸樹を筆頭にチームを組み、海外大学生と事前に綿密に連携することで実現できています。身内ながらスゴイことだと思います。

また、日本で教育に携わる者としてとても嬉しいのは、毎シーズンの募集に対して海外大学生から8-10倍という倍率で応募があることです。日本の教育プロジェクトに熱意をもって応募してくれる大学生が海外にこんなにいる、という事実は驚きですし、タクトピアとしては海外大学生にも多くの機会を提供していきたいと願っています。

UCL(ロンドン大学)で開催されたタクトピアプログラムへの参加募集説明会。前回の参加者が体験を語ってくれています。こうした生態系づくりもタクトピアの目指したい世界観の一面です。

残念なこと。「エリート大学生が来る」という捉えられ方について

おかげさまでスタディキャンプは多くの学校さんからご相談いただいており、これからも広げていきたいと考えているところです。ただ、一点残念に思っている点があります。それは海外大学生に関して上記のような大学名の紹介をおこなうと、たまに先生方が「そんな大それた大学の方々に来てもらってもうちの生徒はきっと萎縮してしまいます」といった言い方をされることです。これについては2点言いたいことがあります。

  • まず、生徒さんの可能性を否定してほしくない。相手が誰であれ、生徒さんは柔軟にコミュニケーションして協働する意欲と力があることを、私たちはいままで何度も目にしてきました。
  • 私が上記のような大学生を自信をもって日本へ呼び寄せているのは、「彼らがエリートだから」ではなく「彼らが卓越したリーダーシップをもっているから」です。ここでいうリーダーシップとは国や文化の違いを受容して人を巻き込み協働できる力のことです。この点において海外大学生たちは良きお兄さんお姉さんとして身近なロールモデルとなってくれているのです。

今シーズン参加してくれた海外大学生たちと。各自が大学で学ぶ目的をしっかり持ち、日本の教育に熱意を燃やしてくれる素晴らしいリーダーです。

 

日常と非日常のサイクル

最後にスタディキャンプを学校さんと共同でおこなうことの意義について。日本でもグローバルや英語をテーマにしたスタディキャンプがだいぶ増えてきた印象がありますが、よく聞かれるのが「短い期間キャンプに参加したからといって本当に何かが身につくのですか」という質問です。私の意見としては「力をつけるのはあくまで日常の学習。キャンプは学習モチベーションを向上させたり将来の指針を得るための原体験の場」です。この意味で、日々の学習を着実に推進する学校さんと、短期間ながら強烈な体験を提供できるタクトピアとのコラボーレーションが活きるのだと考えています。

事実、昨年の夏にスタディキャンプに参加してくれた女子高生がその後海外へ目を向けるようになり、年始にボストンで開催されたMITのプログラムに乗り込んでいった(なんと、これが初めての海外渡航だったそうです)、ということも起きています。スポーツと同じで、パフォーマンスに影響するのは日々のトレーニングだけでなく、原体験やモチベーションも然りだと思うのです。

 

社内では早くも夏のスタディキャンプの計画が始まっていますし、今年は春期にも実験的に実施するかもしれません。タクトピアのスタディキャンプに引き続きご注目ください!

 

今週の1枚

日本橋の歴史あるエリア(つまり古いビル)にある秘密基地的なタクトピア東京オフィス。寒さに負けず快適に過ごすために床にラグを敷くことにしました。断熱シートを挟むことで体感6℃は違うという噂も?みんなで少しずつオフィスを育てていくのは楽しいものです。

なくてもできる、ないからできる

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みなさんこんにちは!タクトピア代表の長井です。ブログの投稿は2回めなのですが、まだ何を書こうか迷っています…笑 いろいろな仕事の話もしたいのですが「その前にお前は誰やねん」というツッコミが聞こえてきそうなので、私についても紹介させてください。

まとまった自己紹介は以前にインタビューいただいたこちらの記事こちらの記事を見ていただくとして(感謝!)、今回は最近よく質問される項目を中心に語っていきたいと思います。

 

◆教育のバックグラウンドはナシ

教育学部出身だったり、教職免許を持っていたり、学生時代に熱心に教育プロジェクトに参加していたりしたわけではありません。私の興味は一貫して音楽(とくにクラシック音楽)にあり、若気の至りで藝大に行きたいと思ってしまうレベルでバッハ狂です。結果的には夢破れて東大にいくことになりましたが、そこでも美学藝術学研究室に入って修士課程まで研究を続けました。

唯一教育的なバックグラウンドと呼べるものは、IBMのコンサル部門(当時はIBCS)にいた際に新人育成プロジェクトに参画し、レクチャーの設計方法やPBL(Project Based Learning)の基礎を学んだことです。

IBCS時代。社内育成プロジェクトに関わった同期10人のうち、3人(左から小原、丑田、私)がハバタクの創業メンバーとなった。

その他の記事でも語っているとおり、IBMにいた際にリーマン・ショックを経験したことで教育への問題意識をもつに至りました。既存の教育業界に属さないので先入観なしにいまの教育を見つめることができ、ある意味空気を読まず変革に向けて動けるのが私の強みかなと思っています。

 

◆グローバルな経歴もナシ

千葉県の中高一貫校から東大に進み、そのまま就職してしまったため海外への進学/留学経験がありません。結論から言うととても後悔しています。いまの知識をもった状態で中高生に生まれ変われるなら迷わず海外へ行きたいと思うのですが。もちろんこれからもチャンスがあるとは思いますが、若き日々は還ってきません…

しいて短期留学らしき経験を挙げるとすれば、大学時代に所属していた運動会少林寺拳法部から選抜していただいて参加した武術交流のプログラムです。オリンピック選手が多数所属する北京体育大学に泊まり込んで中国の武術家の卵たちと交流した経験はとても貴重でした。文部科学省に感謝です。

東大少林寺拳法部は演武も乱捕もこなす強豪校。写真は初めて大会に出たときのもの。

タクトピアには海外経験豊富なメンバーが溢れているので、私のカゲの薄いことといったらありません。ですが、メンバーに活躍してもらうのが一番なので経営者としての私はもっぱら雑用力を鍛えるのみです。また、一般的な学生さんやお客様の視点と一番近いところにいると自認しているので、プログラムを開発していくうえで逆に自分の感覚を利用できるという強みがあります。

 

◆たぶん起業家体質でも、ない

私はもともとどちらかというと保守的なほうでしたし、ひとりで起業を決意できるような度胸もなかったと思います。私にとって幸運だったのは、2010年にハバタクを起業するにあたってIBMの同期だった丑田俊輔と小原祥嵩の2人が仲間だったことです。3人が集まることで問題意識を共有し、事業のアイデアを練り、会社を辞めて独立するという決意ができました。

超余談ですが私はピアノも連弾のほうが好きだったり、少林寺拳法でも多人数での演武を得意としていたりとチームワーク適性だけはあったので、そこが功を奏しているのかもしれません。

連弾を組んでいた弟と。髪型の違いがジェネレーションギャップを感じさせる。CDっぽい装丁は当時ネタで作りました。

起業はスティーブ・ジョブズのような孤高の天才がするようなイメージがいまだに蔓延していそうですが、最近の研究ではチームワークの有効性が実証されつつあります。その意味では私のようなタイプは実は起業シーンにもっと需要があるのではないか…などと都合のよい妄想もしています。

自己紹介についてはそれぞれ細かく語るとキリがないのですが、需要がありそうでしたら別に記事を立てて語りたいと思います。

そういうわけで禅問答みたいな自己紹介ですが、「ない」から物事を諦めるのではなく、「ない」ことも武器にしていけるのだなと思うようになった今日このごろです。そんな人間が社長をやるとどんな面白い事業が繰り広げられることになるのか、今後の記事を楽しみにしていてください!

 

今週の1枚

神奈川県にある私立男子校・聖光学院さんで、3月に実施する海外研修のキックオフをおこないました。自分たちで訪問したい人や企業を調べあげ、アポをとる順番を投票で決めたりと、とてもアクティブです。次に会うのは事前研修ですね。楽しみにしています!