At World’s Bend– ハバタクグループ起業のきっかけ(2)

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今回はタクトピアを含むハバタクグループの立ち上げストーリー第二弾をお送りします!第一弾はこちらからどうぞ。

チームUNO発足

リーマン・ショックをきっかけに巨大なモヤモヤを抱えた丑田・小原・長井の3人は、2009年の後半からIBMの会議室に夜な夜な集まり、「自分たちにできることを考えよう」と闇会をおこなうようになりました。

このときは「ハバタク」の名前もまだ誕生しておらず、仮のチーム名として”UNO”と名乗っていました。UNOとはイタリア語で”1”の意味です。「目指すならオンリーワンだぜ!」みたいな、SMAPの歌が流れてきそうな軽いノリで決めた名前ですが、よくよく見てみると偶然にもUshida, Nagai, Oharaの頭文字になっていると分かり、狂喜乱舞した記憶があります。思えば昔から妙にネーミング運の強いチームでした。

チームUNOのタイトルスライド。顔のマークは小原作。

さてチームUNOとして闇活動を始めた三人ですが、しばらくは「自分たちでもできそうなビジネスアイデアをどんどん出していこう」という方針で週1ミーティングを重ねていました。曜日ごとに担当を決めて、スライド1枚でビジネスアイデアを書いて共有しては意見をぶつけ合う日々。コンサルという仕事柄こういうこと(実行ではなく紙の上でアイデアをこねくり回すこと)は得意で、何十とアイデアが溜まりました。この中には今でいうランサーズのようなアイデアもありました。一言で言うならば、デザイン領域で実績を積んでいきたい若手のデザイナーと、ロゴやパンフレットの装丁などにデザインの力を借りたい中小企業を結びつけるプラットフォームビジネスです。私たちはこれをDesign Tankというコードネームで呼んでおり、半ば本気でこのアイデアでの起業を考えていた時期もありました。

「これって”教育”っていうんじゃない?」

しかし、アイデアを出せば出すほどモヤモヤは溜まるばかりでした。山ほど出したアイデアたちはぱっと見よさげでしたが、結局「なんのためにやるの?」「自分たちは何を変えたいの?」というパッションが込められていないからです。自分たちがそれなりの労力をかけて取り組むからには「これだ!」という旗印を立てたい。そこで今までのアイデアや集めた情報を全部持ち寄り、八重洲の番屋という居酒屋にこもって会議をおこなうことになりました。

のちに言う「番屋会談」(2010年4月16日)がおこなわれた番屋の八重洲本店。お店はいまも健在です。

たまたま個室に通されたのをいいことに壁にポストイットを貼りまくり、問題意識の深掘りをしていきました。私たちの問題意識のスタートはリーマン・ショックで揺れに揺れたIBMの社内の風景でしたが、それをきっかけに自分たちのアンテナに引っかかるデータや話題を芋づる式に集めていたのです。たとえばこんなものです。

  • 新興国が急成長するなか、存在意義を問われる日本(と日本企業)
  • グローバルで活躍できる人材を求める経営陣とグローバルに出たくないワーカーのギャップ
  • 幸福度ランキング、労働時間あたりGDPで下位にあり続ける日本
  • 将来の夢を持てない、自分に自信がない、と答える割合の多い日本の子どもたち

などなど。

もともとがコンサル視点のため、最初の着目点はどちらかというと産業界でした。外的環境の変化が速まっていくなかで、「仕事」に求められる質も変わってきているのは肌で感じていたため、もっと企業の枠にとらわれない軽やかな働き方を支援したい…といったパッションが共有されていたと記憶しています。だからこそ、フリーランス的な働き方を推し進めるDesign Tankのようなアイデアが自分たちの心を捉えていたのだと思います。

ただ、そこが本質的な問題の根っこなのか?というモヤモヤも残っていました。オトナの働き方が変わるのも当然大事だけど、そもそもから言えばオトナになる前に新しい時代に対応したスキルとか考え方を身に付けておくべきなんじゃないか?と。折しも丑田と私には娘が誕生することが判明したこともあり、私たちの視点はどんどん若い世代へと遡っていきました。そしてついに「これって…”教育を変える”ってことなんじゃない?」という結論へ達したのです。

そして初の経営合宿へ

その後にまとめたチームUNOとしてのビジョンシートには

生まれた場所や環境に関わらず、全ての人間が、夢・志を持ち、これを実現するための力をつけ、実現に向けて走ることができる社会

という言葉が見えます。細かい文言は違えど、ハバタクグループがいまも大事にしている世界観がいよいよ定まってきました。

当時のビジョンシート。ビジョン・ミッションのほか、いまは「グローカルリーダーシップ」「多様性 x 創造性 = 共創的な学び」と整理されている私たちのゴール設定の原型が、スライド下半分に書かれています。

新しい事業の旗揚げに向けて一気に盛り上がりを見せるチームUNO。こんな↓メールのやりとりの末に「ここらで一発、経営合宿をやろう」ということになりました。よく考えれば社名もなければ事業計画もない。自分たちが具体的に走り出すための準備を整えていく段階に入りました。

ハバタクグループの合宿好きはこのあたりからすでに始まっています。

ただ、問題が一つ。合宿で検討すべきアジェンダがありすぎて、行き帰りの車の中まで打ち合わせに使わなければならず、社名は行きの車の中で決めなければならないことになりました。大事な社名をそんな超スピードで決められるのか!?と初っ端から不安がよぎる面々。この顛末は次回に語りたいと思います。

※まだ第一弾を読んでないよ!という方はこちらからどうぞ。

トーキョーローカル – オフィス周辺ブラ散歩

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この間はオフィスについて書いたので、今回はオフィスのある日本橋エリアについて書いてみようと思います。ちょっとマニアックですが味わい深いこの土地にぜひ興味をもって、遊びにきてください!

 

日本橋は意外に広い

「日本橋」と聞くと皆さんはどんな風景を思い浮かべるでしょうか。おそらくこんな感じですよね。

日本橋そのもの。

三越本店。

コレド室町。

正解です。正解なんですが、日本橋はそこだけじゃないのです。地図を見てください。

↑このあたりがいま写真で見た日本橋ですが

↑実は日本橋○○町という地名は隅田川に向かって東に広がっているのです。人形町、馬喰町、浜町、小伝馬町、そして我らがオフィスのある大伝馬町…ぜんぶ日本橋です。こうやって考えると一気に歴史の一員になった気がしてくるから不思議です(すみません、私は単純な人間です)。

私の古巣のIBMが本拠を構える箱崎町も日本橋。ちなみに日本橋の北は神田、隅田川を超えて東は国技館のある両国。西に東京駅があります。

 

江戸最古の町、大伝馬町

さて、オフィスのある大伝馬町の歴史をちょっとだけ紐解いてみましょう。幕府要人の旅や物資などの運送を取り仕切る“伝馬役”の住居があったことが町名の由来と言われています。隅田川も近く江戸城郭の辺縁に位置したため運輸の要所となり商業が勃興したそうで、最古の町の一つと言われています。江戸最大の繊維問屋街として栄え、第二次世界大戦の東京大空襲で町並みは一度焼失したものの、その歴史は現代にも続いています。

大伝馬町の呉服屋さんを描いた絵

その他の話題でいうと、吉田松陰の終焉の地である伝馬町牢屋敷がかつて存在したり、べったら漬けの語源になった「べったら市」が毎年開催されていたりする土地です。

 

現代風に楽しむ大伝馬町(とその周辺)

歴史的な香りをちょっと嗜んだところで、ふだんのオフィス生活に絡めて素敵なスポットを紹介したいと思います。渋谷や丸の内などのキラキラ立地とは違ってリノベーションの楽しさや店舗づくりのこだわりが見える感じが個人的には大好きです。

※お店の写真は公式WEBのものを使わせていただいている場合があります。また写真をクリックすると公式WEBへジャンプします

バクロコモン

お隣の馬喰横山にある創作イタリアンのお店。ランチもディナーも良いですが、とくにディナーはワインのお勧めが巧すぎてつい飲みすぎます。店舗が何かの工場跡らしく、高い天井を利用した空間づくりがとてもオシャレ。トイレの入り口は教えてもらわないと発見できない仕様。

三兄弟

オフィスを出て斜め向かいにある串揚げ屋さん。私は無類の串揚げ好きですが、こちらの串揚げはめっちゃ美味いです。古い建物と雰囲気がマッチしていて素敵。オフィスでイベントをするときには近所のよしみでテイクアウトさせていただいたりと、とてもお世話になっています。

フクモリ(馬喰町店)

このエリアを代表するお店。山形の食材をフィーチャーしたメニューはおしゃれでカフェとしても食堂としても使えます。よくいろいろなクリエーターさんが打ち合わせに来ています。

ときにはプリンを頬張りながら打ち合わせ

魚釜

名前のとおり海鮮系のお店。海外からゲストが来るとだいたいこのお店にお連れしますが、とても気に入ってもらえます。内装がザ・江戸な感じで粋。メニューはどれも美味しいです。顔見知りになると店員のお兄さんが必ず一番高いメニューを勧めてくるという小芝居が発生します。

ここまで書いてみたら、全部飲食店でした…(汗)なので飲食以外もご紹介します。

圧倒的な繊維問屋街

街中が問屋さんだらけです。呉服、ドレス、下着、帽子…布モノならなんでも揃います。見て歩くだけでも楽しいです。

とにかく帽子なお店

圧倒的な存在感のタオル問屋さん

ただし個人には売ってくれないお店も多い

そんななかでも私の好きなお店がオフィスのそばに2つあります。

UNIZON DEPT.

革小物・カバン等の製造販売をしている会社さん。日本全国に卸していらっしゃいますが、なんとオフィス周辺に直営店が2つあります。男性モノを多く扱っているのは2号店で、ふらっと行って店長さんと話してみたらその方が製品のデザイナーさんだったりして、トートバッグに惚れ込んで買ってしまいました。こういう距離の近さが最高です。

絆傘処

オフィスのすぐとなりにある手作り洋傘のお店。傘をもつと3分でなくしてしまう私には恐れ多くて買えないのですが、厳選された素材の惚れ惚れするような傘を店内で作っていらっしゃいます。いつか落ち着きのある男になった暁にはこちらの傘を持ちたい…と願うばかりです。ちなみにマフラーならなくさないだろうということで、昨年の冬に買わせていただいて愛用しています。

その他にも

リノベーションできる建物が多かったり、少し地代が安かったりするおかげでクリエーターさんやベンチャー企業が徐々に増えているエリアでもあります。

写真を中心としたアート家集団「ゆかい」さん。タクトピアオフィスのビルの1階と地下1階にいらっしゃいます。地下1階はスーパー面白空間!

雰囲気の良いゲストハウス”IRORI”。外国人旅行者の方々で賑わっています。1階食堂の奥にある江戸の古地図が圧巻。

クリエーターとベンチャー企業が入居するリノベーションビル”Creative Hub 131″。社員食堂という名前のソーシャルキッチンがあり、日々インスピレーションを刺激するイベントがおこなわれています。

ローカルとしてのトーキョー

いかがでしたでしょうか。東京というと世界的な知名度をもつ大都市でもありますが、もっとミクロに見ていくと土地ごとに歴史があり、いまも顔の見える関係性でなりたつコミュニティがあります。「ローカル」は地方にだけ存在するのではなく、都市圏にも当然存在しています。ただ、腰を据えないと見えないだけです。グローカルリーダーシップの育成を目指すタクトピアとしては、グローバルなつながりを強化するだけではなく、ここ日本橋のローカルなつながりにもっと触れ、貢献していきたいと願っています。

日本橋の伝統企業とベンチャー企業、そして日本橋ワーカーのための朝会「アサゲ・ニホンバシ」に登壇させていただいた際の集合写真。日本橋のご縁を大切に成長していきたいと思います。

社名の由来〜世界一の学びの生態系へ

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今日はタクトピアの社名の由来についてご紹介します。

社名って重要?

皆さんは世の中の企業の名前に興味があるでしょうか?どんな成り立ちなのかとか、調べてみると面白いものがありますよね。ひょっとすると人によっては「企業なんてお客がついてお金が稼げれば名前なんてどうでもいいんじゃないの?」と思うかもしれません。

私は個人的に、ビジネスを始めるときに社名は非常に重要なものだと思っています。文字通り魂が宿るものだと。社名に魂を込めないと、お客もつかないしお金も稼げないのです。同じことは会社の名前だけでなく商品の名前にも言えると思います。

ハバタクの場合

さて、タクトピアの社名について語るためには、先に親会社であるハバタクについても語っておいたほうが良いですね。「ハバタク」は2つの理念をかけ合わせたもので、「世界に羽ばたく」という日本語の意味と「have a Takt(人生の指揮を執れ)」という英語の意味が含まれています。これを思いついたとき、その場の全員が「それだ!」と叫んだくらいの傑作です。ですよね?(このあたりのエピソードはまた別の記事で書きますのでお楽しみに)

「ハバタク」は2013年にコクヨファニチャーさんから「社名の由来コンテスト」で賞をいただきました。

というわけでハバタクグループとしてはTakt(指揮棒)が重要なキーワードとなったのです。ちなみにロゴに登場するキャラクターも「タクトくん」と命名されました。

彼がタクトくん。毎年正月には干支コスプレしたり、パンフレット等ではいろいろなポーズを決めたりとよく活躍しています。

タクトピアに込めた決意

そして2015年の春。新子会社の立ち上げにあたってふたたび社名のブレスト大会が実施されました。サンフランシスコ・東京・ホーチミンシティと遥かに離れた3拠点をSkypeで結んでブレストを行いましたが難航し、貸し会議室の残り時間が5分となって冷や汗をかきまくり、最終的に全然候補に挙がっていなかった方向からドカンと発想がやってきて生まれたのが「タクトピア」という名前だったのです。このときも全員が「キター!」と叫ぶほどの決まった感がありました。

ロゴデザイン。社名が決まってからデザイナーさんに起こしてもらいましたが、これはこれで何度も議論が紛糾した末に出来上がった自信作です。

では、「タクトピア」に込めた理念とは何か。前半の「タクト」はハバタクから受け継いたキーワード”Takt”です。つまり、自分の人生について自分で指揮をとっていけるリーダーシップのある人を育てていこうという思い。そして後半の「トピア」は”utopia”、つまり理想郷を創るという思いが込められています。この2つを合わせて、タクトピアの提供する研修プログラムを通して世界に羽ばたこうとする人々とそれを支援する人々が学び合う有機的なつながり(=生態系)を生み出したい、というのがタクトピアの目指す最終的なゴールなのです。

生態系を創る楽しさを実感する機会が、ここ1年でぐっと増えてきました。たとえば高校時代にタクトピア(タイミング的にハバタクの場合もありますが)のプログラムを受けた学生さんが大学生となり、国内や国外のプログラムでメンターとして手伝ってくれるようになったり。国内スタディキャンプに参加してくれた海外大学生が、その後も参加者や大学生メンターと密に連絡を取り合って交流をしていたり。見学に来てくださった学校の先生方や民間企業の方が知り合って新しい企画を立ち上げたり。そうした人のつながりが新しい学びの機会を創出すると信じています。

大学生となった立命館宇治高校と新潟県立国際情報高校の卒業生たちがオフィスに遊びに来てくれたときの様子。それはもう賑やかでした。

これは持論ですが、教育の究極の形態は「良い学習プログラム」ではなく「良い生態系=人間関係」です。世界の多様性に触れ、自身の創造性を存分に発揮できる環境で成長することこそが、この世界を(身の回りのことからちょっとずつ)良くする21世紀型のリーダーの要件だと思うのです。タクトピアは世界で一番の学びの生態系づくりを目指して今後も進んでいきます。

 

今週のニュース – 嶋津幸樹が「世界一の英語教師」に選出

世界最大の教育企業「ピアソン」が主催する英語教師のアワードで、弊社の嶋津が選出されました!約1500名の応募者のなかから世界で5名、アジア・オセアニア地域の代表としての選出です。これからも嶋津が率いる英語プログラムおよび国内スタディツアーはどんどんパワーアップしていきますので、どうぞご期待ください!詳細は以下のページをどうぞ。

Meet an award winner: Koki Shimazu

The Working Dead – ハバタクグループ起業のきっかけ(1)

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最近よく「なんでIBMを辞めてわざわざ起業したんですか?」と聞かれるようになりました。今回はこれについて書いてみようと思います。少し長くなりそうなので数回に分けて大公開します!

私は2007年に東大の大学院からIBM(当時はIBCSという別会社でした)のコンサル職として入社し、3年半在籍してから起業となりました。正直私は腰が重いほうなので「まあマネージャー職も経験したりして10年間は会社にいるかなー」などと考えていたのですが、ある出来事をきっかけに急速に起業へと舵を切ることになります。

それがリーマン・ショックでした。

当時私はただのペーペーの新人であり、仕事として大変だったのはもっと年次の上の方々だろうと思います。ただ新人には新人なりのショッキングな思い出だったのです。

 

そのとき社内で何が起こったか

金融危機の波がアメリカから押し寄せ、あっという間に日本市場も影響を受けました。コンサルという仕事は特に影響を受けやすかったようで、たくさんのプロジェクト*が緊急停止となり、当時2,000人弱いたIBCSのコンサルタントたちのかなりの人数が仕事にあぶれるという異常事態になりました。

 

*コンサル業界においてはすべての仕事は「プロジェクト」という単位で行われます。大雑把にいえばプロジェクトが小さな会社みたいなものであり、プロジェクトマネージャーと呼ばれるポジションの人が小さな社長となって予算や人事について采配をふるいます。プロジェクトに所属していない期間のコンサルタントは”available”という状態となり、よく言えば休暇、悪く言えば社内失業という立場になります。

 

そんな事態のなか、私が何をしていたかというと…同期と飲み歩いていました。私自身は幸いにプロジェクトから外されることはありませんでしたが、一番極端だったときには全体の7-8割の同期がavailableとなり、みんなが不安がって情報交換を求めていました。お給料に響くというのもあったかもしれませんが、「自分はどこにも必要とされていないのではないか」という恐怖が蔓延していた気がします。

昼間からオフィスを出てハンバーガーとビールを喰らう会@本郷FireHouse。店外のベンチに座りながら同期といろいろな話をしました。

その不安なり恐怖なり怒りなりの矛先がどこに向いていたかというと、当然会社でした。でも、その会社のなかで私はいまでも忘れない光景を見てしまったのです。

 

静かな危機の風景

予備知識として先に言っておくと、コンサルティング会社のオフィスは固定席がないことが多いです。なぜならば平時であれば多くのコンサルタントはお客様先に出勤するからです。私の聞いたところでは、全社員の人数の20%ほどしか自社には席を用意しないとのことでした。

それが、このリーマン・ショックでどのように変化したか。前述のようにavailable状態が勃発したため大量の社員が丸ビルの自社オフィスに戻ってきてしまいました。しかし全社員分の席は当然ない。座りたくても座れない。かといってオフィスを離れたくもない(仕事が欲しい)。結果として、ややうつろな目で空席を求めるコンサルタントが永遠にさまよい続ける、ゾンビ映画のような風景が登場したのです。

私は The Walking Dead のファンです。特にゾンビ好きというわけではありませんが。

私がショックを受けたのは主に3点でした。

  • 誰もしゃべろうとしない。多くの人は同じ状況なのだから、不安をシェアしたり役立つ情報を交換したり、雰囲気を明るくしようとギャグをかましたり、なぜしないのだろうか。
  • みんな会社に期待するばかりで、自分でなんとかしようとはしていない。私が知る限り当時のIBCSの方々は超優秀であったにも関わらず、自分で状況を打破しようとしない。なぜなのか。
  • 一方で会社のほうの動き。IBMは世界最強クラスのガバナンスをもつ企業であり、人員整理のタイミングも超早かった。日本で人を減らす代わりに大量に登用していたのが中国とインドのメンバーだった。新興国のパワーが目に見えてやってきた。

もしこの状況がずっと続いたら、この人達はこのまま無表情のままずぶずぶと沈んでいくつもりなのだろうか…とやるせない感情が沸き起こったのを覚えています。

注:上記はあくまでも狭い私の視野で見えたモノと感じたコトであり、あくまで個人的な見解です。もちろん当時の会社内では状況を打破しようとたくさんの方が動かれていたと思います。この記事の目的は私がいかに若気の至りで起業のきっかけを掴んだかを書くため、ということでご了承ください。

そこから、ハバタクの創業メンバーである丑田俊輔と小原祥嵩との夜な夜なの会談が始まりました。といっても自分たちでも何を話せばいいのか分からず、ただやるせない感情を言葉にしてみたり、新しいビジネスのアイデアを何十と出してみたりしたものの、それが何に繋がるかは分からない。ハバタクの根幹のテーマである「教育」にたどり着くまではもう少し時間がかかりました。

 

(続きます!)